パニックで物がなくなりお金が意味をなさなくなる日

首都圏では多少落ち着いてきてはいるものの、東北関東大震災の影響で人々は非常時に備え買い占めに走っている。

パン、レトルト食品など簡単に食べられる食料がコンビニ、スーパーから姿を消し、トレットペーパーや女性の生理用品などがドラッグストアから姿を消し、家電量販店からは乾電池やラジオが姿を消している。

今まで見た事のない光景がそこには広がっていて、ここ1週間で自分の目に映る世界は変わってしまった。

自分が持っているトイレットペーパのストックがなくなりかけているので、昨日いくつかお店を回ったが、どこも棚は空っぽ。

自分が必要としている物がお金はあるのに手に入らない。

こういう状態になってくると例えば、トイレットペーパがスーパで通常の2、3倍以上で売っていたとしても人々は殺到し売れてしまうのではないだろうかと歩と頭に浮かんだ。

お金は物とモノを交換する行為を媒介するために存在するもの。

その存在価値はお金を出して相手がモノを提供してくれることによって初めて成り立つ。

今の東京ではそれが一部で成り立っていないような感じ。

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今回のパニック現象によるモノ不足は生産が出来る状況が続いている限り、いずれ解消するだろうけど、これを原油や天然ガスなどの天然資源や大豆やコメ、コーンなどの農作物に置き換えると色々と考えさせられる物がある。

資源や農作物などのコモディティの価格が上がってくると評論家やエコノミストは「新興国での消費が増え、需給が供給を上回っていたため」というようなニュアンスの解説をよくするが、今回起きている現象はそれに類似しているように思う胃。だた、それが自然災害によって引き起こされた今回の現象と違い、消費人口の増加という止めることが困難な理由が我々人類につきつけられている。

お金を持っていても、原油や天然ガスが手に入らなければ大量の電力を生むことは現状できず、生活レベルを相当落とす必要に迫られ、仮にそのような状態になれば現在の計画停電の騒ぎではなくなる。

太陽光発電や水力発電、潮流発電など化石燃料に依存しない発電方式の普及と個々の省エネ生活がより重要になってくると共に、資源価格の上昇には多くの人が関心を持つべきだと思う。

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